歴史と文化が息づく福岡県。各地に数多くの遺跡や歴史的建造物が存在し、見どころが豊富です。貴重な遺跡や、歴史的な建物から近代的なものまで価値の高いスポットを紹介します。
福岡タワー
福岡タワーは、福岡県福岡市早良区のシーサイドももち地区にあるランドマークタワー(電波塔)で、高さは234m。日本で1番高い海浜タワーでもある。1989年のアジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)にあわせて建設された。 1989年開催のアジア太平洋博覧会(よかトピア)のモニュメントとして建設された。福岡タワー、福岡ウォーターフロントプロムナード”マリゾン”の計画の中で、福岡タワーを中心とした施設配置が1987年10月に固まった。1988年1月に着工し、翌89年3月に落成、営業開始。
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最上階の展望室はエレベーターで約70秒・高さ123mの場所にあり、展望室から福岡市の市街地を一望することができる。震度7の地震や風速63mに耐えられる設計。外観は8000枚のハーフミラーで覆われた正三角柱の形状。三角柱の上部には福岡市の市章が見える。また、外観の全体像は母里太兵衛の槍「日本号」の切っ先のイメージも含まれている。
例年、クリスマスや七夕の時期にはイルミネーションが施され、最上部の壁には電光掲示板で絵が点灯される。また、ゴールデンウイークと体育の日前後には非常階段を一般開放し、1階から展望室までの577段を登るというイベントが開催される。このイベントにおける最速到達3分18秒という記録は、2013年現在更新されていない。
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福岡城跡
福岡城は、筑前国那珂郡警固村福崎のち福岡(現在の福岡県福岡市中央区城内)に築かれた江戸時代の日本の城。別名、舞鶴城、石城。国の史跡に指定されている。現在、城跡は舞鶴公園と大濠公園となっている。江戸時代初頭、関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の黒田長政が、警固村福崎の丘陵地に築いた城である。以降、明治まで福岡藩黒田氏の居城となった。
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築城の際に、黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ福崎を「福岡」と改めた。普請奉行は野口佐助一成である。城地となった警固村福崎は荒れ地で、古くから商人の町として栄えていた博多の西側に川を挟んで位置する。
現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっている。城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。
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小倉城
小倉城(こくらじょう)は、福岡県北九州市小倉北区にある日本の城である。
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勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名がある。
1569年(永禄12年)、中国地方の毛利氏が城を築いたことから始まり、高橋鑑種や毛利勝信が居城した。1602年から細川忠興が約7年かけて唐造の天守閣を築城し、細川氏の熊本転封の後、1632年に譜代大名である小笠原忠真が入城し、以後幕末まで小笠原氏が居城した。
1837年に失火のため天守閣が焼失し、残る城郭も1866年、第二次長州征討の混乱の中で小倉藩が自ら城を焼却した。
明治時代から第二次世界大戦中には、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれた。戦後、1959年に天守閣が再建された。
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