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2022/11/25

ボスニア・ヘルツェゴビナ

ボスニア・ヘルツェゴビナ いつかは行きたいベストスポット 5選 遺跡・歴史的建造物編

 

世界中から訪れる人が絶えない人気観光地、ボスニア。そんなボスニアの魅力的な建造物の数々をご紹介!

サラエボ市庁舎

サラエボ市庁舎は、ヴィジェチニツァと呼ばれ、サラエボ市内にある市庁舎。1891年にチェコの建築家カレル・パルジークが設計したが、大臣であったベニ・カレライ男爵の批判により、プロジェクトが中止となった。当初は、サラエボにおけるオーストリア・ハンガリー時代の最大かつ最も代表的な建物で、市庁舎として使用されていた Wikipedia

セビリ

セビリは、1753年にメフメト・パシャ・クカヴィツァによって建てられたサラエボのバシャーキー広場の中央にあるオスマントルコ様式の木製の噴水(sebil)である。1891年にオーストリアの建築家アレクサンダー・ヴィッテクによって移設された。この噴水で水を飲むといつかサラエボに帰ってくるという地元の伝説がある。 Wikipedia

ソコルル・メフメト・パシャ橋

ソコルル・メフメト・パシャ橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国の町ヴィシェグラードにある橋で、市内を流れるドリナ川に架かっている。オスマン帝国の宮廷建築家だったミマール・スィナンが16世紀末に手がけた橋で、当時のオスマン帝国の建築水準の高さを例証する産業遺産として、2007年にユネスコの世界遺産に登録された。ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産としては2例目の登録で、最初の登録物件であるスタリ・モストと同じく、橋の世界遺産である。

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橋の名前は、この橋の建築を命じた大宰相ソコルル・メフメト・パシャに由来する。全長は179.5mで、11の石組みのアーチから成っている。これらのアーチは、20世紀の二度の世界大戦で壊滅的な被害を受けたが、その後再建されて今に至る。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のヴィシェグラードの虐殺では惨劇の現場にもなった。 Wikipedia

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ダービシュハウス Dervish House

ブラガジ・テキヤは、ダービシュのために建てられた修道院である。ブラガジ・テキヤはオスマントルコ建築と地中海様式の要素を取り入れて1520年頃に建てられ、国の重要文化財に指定されている。

サラエボ・トンネル

サラエボ・トンネルは、ボスニア戦争中期のサラエボ攻防戦で1993年3月から6月に作られたトンネルのことである。

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セルビア軍によって完全に遮断されたサラエボ市と、サラエボ空港の反対側のボスニア人居住区(国連支配地域)を結ぶために、ボスニア軍によって建設されたものである。 このトンネルは、サラエボのドブリンジャ地区とブトミル地区を結び(「D-Bトンネル」と呼ばれるようになった)、食糧、軍需品、人道支援物資が市内に入り、人々が外に出ることができるようになった。このトンネルは、国際的な武器禁輸措置を回避し、都市防衛者に武器を提供するための主要な手段となった。 Wikipedia

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