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2022/11/24

バングラデシュ

バングラデシュ人民共和国 いつかは行きたいベストスポット 7選 遺跡・歴史的建造物編

 

世界中から訪れる人が絶えない人気観光地、バングラデシュ。そんなバングラデシュの魅力的な建造物の数々をご紹介!

ラルバグフォート Lalbagh Fort

ラルバグフォートは、バングラデシュのダッカの旧市街にある宮殿跡。その名前は、赤い庭を意味する近隣のラルバーグに由来している。ラールバーグという用語は、ムガール時代の赤みがかったピンク色の建築物を指し、元はアウランガバード砦と呼ばれていた。 Wikipedia

バイトゥル・ムカラーム

バイトゥル・ムカラームは、バングラデシュの国立モスク。バングラデシュの首都ダッカの中心部に位置し、1968年に完成した。42,000人以上の礼拝者を収容できる。 Wikipedia

スフラワーディ・ウディーン Suhrawardy Udyan

以前はラムナ競馬場として知られていたスフラワーディ・ウディーンは、バングラデシュのダッカにある国定記念物。フサイン・シャヒード・スフラワディにちなんで名付けられた。もともとはダッカに駐屯していたイギリス兵の軍事クラブだったが、その後、ラムナ競馬場と呼ばれ、後にラムナジムカーナと呼ばれた。 Wikipedia

バングラデシュ国立記念碑

バングラデシュの国定記念物であり、1971年のバングラデシュ独立戦争で亡くなり、バングラデシュをパキスタンから分離した人々を追悼して建てられた。記念碑は、首都ダッカの北西約35kmのサバールにある。 Wikipedia

ショヒド・ミナール

ショヒド・ミナールは、バングラデシュの首都ダッカにある国定記念碑。1952年に起こったベンガル言語運動の犠牲者を追悼する目的で建設された。

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1952年2月21日、母国語であるベンガル語の対等な社会的地位を要求したベンガル人の主張者へ、パキスタンの警察隊が発砲し、多くの学生と政治活動家達が殺害された。この虐殺は、ダッカにあるダッカ医科大学とラムナ・パークの近隣で起こった。同年2月23日に、一時的な記念碑がダッカ大学と別の教育機関によって建設されたが、そのすぐ後の2月26日に記念碑はパキスタンの警察により取り壊された。 言語運動は勢いがつき、長期に渡る争いの後、ベンガル語はウルドゥー語と対等の地位を獲得した。運動で死亡した人々を追悼するために、バングラデシュの彫刻家、ハミドゥル・ラハマンによってショヒド・ミナールがデザイン及び建設された。記念碑は1971年のバングラデシュ独立戦争が起こるまで建っていた。この戦争でパキスタン軍が実行し、結果として5万人の市民の命が奪われたと推定される大量虐殺、サーチライト作戦 が行われていた中で完全に破壊されてしまった。バングラデシュの独立後、記念碑は再び建設された。 現在、ショヒド・ミナールはダッカに置いて文化的な活動の中心地となっている。毎年、この記念碑で言語運動の慰霊祭が行われる。 Wikipedia

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アサン・モンジール(ピンクパレス) Ahsan Manzil (Pink Palece )

アサン・モンジールは、首都ダッカにありかつての領主ナワブ家の公邸。建物は、バングラデシュのダッカにあるブリガンガ川のほとりに沿ったクマートゥリある。建設は1859年に着工し、1872年に完成。インドサラセン様式のリバイバル建築で建設された。現在は国立博物館となっている。Wikipedia

 ダケシュワリ国立寺院

ダケシュワリ国立寺院は、バングラデシュのダッカにあるヒンドゥー教寺院。国有であるため、バングラデシュの「国立寺院」という区別がある。ダケシュワリという名前は、「ダッカの女神」を意味する。1971年のバングラデシュ解放戦争でパキスタン軍によってラムナ・カリ・マンディールが破壊されて以来、ダケシュワリ寺院はバングラデシュで最も重要なヒンドゥー教の礼拝所としての地位を占めている。また、バングラデシュ最大のヒンドゥー教寺院でもある。 Wikipedia

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