世界中から訪れる人が絶えない人気観光地、バチカン。そんなバチカンの魅力的な建造物の数々をご紹介!
目次
サン・ピエトロ寺院
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。サン・ピエトロは「聖ペテロ」の意で、キリスト教の使徒聖ペテロのイタリア語であるサン・ピエトロに由来する。
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システィーナ礼拝堂
システィーナ礼拝堂、より正確にスィスティーナ礼拝堂は、ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂。サン・ピエトロ大聖堂北隣に位置するその建物とともに、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。
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サンタンジェロ城
サンタンジェロ城は、ローマのテヴェレ川右岸にある城塞である。日本語訳によっては、聖天使城、カステル・サンタンジェロとも呼ばれる。 正面にはサンタンジェロ橋がある。 約700メートル離れたバチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは城壁上の通路で繋がっている。 Wikipedia
バチカン庭園 Gardens of Vatican City
バチカン市国の庭園(ラテン語:Horti Civitatis Vaticanae)は、非公式にバチカン庭園(イタリア語:Giardini Vaticani)とも呼ばれ、領内の西部に位置し、国土の半分以上を占める私有の都市庭園と公園で、ローマ法王が所有している。庭園内にはバチカン放送局や総督官邸などの建物がある。 Wikipedia
バチカン宮殿
バチカン宮殿は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居である。 当初、バチカンには、サン・ピエトロ大聖堂に隣接して修道院、巡礼者の宿泊施設、教皇の休憩用の邸宅程度しかなかった。
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バチカン地下のネクロポリス Vatican Necropolis
バチカンのネクロポリスは、バチカン市国のサンピエトロ寺院の地下5~12mにある。1940年から1949年にかけて、バチカンが主催したサンピエトロ寺院の地下の考古学的発掘調査(イタリア語でスカビとも呼ばれる)により、帝国時代のネクロポリスの一部が発見された。この調査は、使徒ペテロの墓にできるだけ近い場所に埋葬することを望んだ教皇ピウス11世の要請で実施されたものである。また、3世紀から4世紀のものとされる「ユリイの墓」もここにある。ネクロポリスはもともとローマのカタコンベの一つではなく、墓や霊廟が並ぶ野外墓地であった。 Wikipedia
サンピエトロ広場 オベリスク
古代エジプト時代にさかのぼる記念碑のオベリスク。花崗岩が使われ、ローマ教皇の紋章が装飾されている。
聖アンナ教会 Saint Anne of the Grooms
バチカン市国の聖アンナ教会、通称サント・アンナ・デ・パラフレニエリは、バチカン市国にある聖アンナに捧げるカトリック教区教会である。バチカン市国の教区教会であり、バチカン市国臣会の管轄下に置かれ、バチカン市国とイタリアとの国際国境であるポルタ・サンタンナ(聖アンナの門)脇に位置している。 Wikipedia
サン・ピエトロ広場
サン・ピエトロ広場は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の正面にある楕円形の広場。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により、1656-67年に建設された。4列のドーリア式円柱による列柱廊と140体の聖人像に囲まれた広場の中央にオベリスクが立つ。 Wikipedia
地図の回廊
地図の回廊(Galleria delle carte geografiche)は、バチカンのベルヴェデーレ中庭の西側にある回廊で、修道士で地理学者であったイグナツィオ・ダンティが描いた絵をもとに描かれた一連のイタリアの地形図が展示されている。 このギャラリーは、1580年に教皇グレゴリウス13世がバチカンの装飾のために依頼した他の芸術作品の一部として制作された。長さ120mの回廊の40枚のパネルを完成させるのに3年(1580-1583年)を要した。 Wikipedia