1. TOP
  2. 日本
  3. 四国地方
  4. 徳島県
  5. 徳島県の神社/お寺

2023/07/10

徳島県

徳島県の神社/お寺

 

歴史と文化的価値のある高い寺院、神社が存在する徳島県。古きよき日本の風情を感じられる美しい風景と文化はもちろん、知る人ぞ知る隠れた名所や人気スポットを厳選してお届けします。

霊山寺

霊山寺は徳島県鳴門市にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第1番札所である。 山号は竺和山(じくわさん)、院号は一乗院(いちじょういん)と号する。本尊は釈迦如来。とくしま88景に選定されている。2015年4月24日、当寺は「四国遍路」-回遊型巡礼路と独自の巡礼文化- の構成文化財として、日本遺産に認定されていて、四国八十八箇所の88の寺院と阿波遍路道・土佐遍路道・伊予遍路道・讃岐遍路道で構成された文化財の一つである。

<ViewMore>

寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。 弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ、21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け、持仏の釈迦如来を納め霊場開創祈願をしたという。その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っている。また、本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作の伝承を有し、左手に玉を持った坐像であり、2014年(平成26年)に4か月間開帳された。 Wikipedia

<Close>

医王山 無量寿院 薬王寺

薬王寺は、徳島県海部郡美波町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第23番札所。医王山、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。本尊は薬師如来で厄除けの寺として知られる。

<ViewMore>

寺伝によれば、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したという。弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海(弘法大師)が厄除けのため薬師如来像を刻み、伽藍を建立。 文治4年(1188年)火災により堂塔を焼失した。この時に本尊は奥之院の玉厨子山に自ら飛んで焼失を逃れたという伝説がある。その後、後醍醐天皇により堂塔が再建された。本尊が新たに彫られたが、元の本尊もこの時に飛んで帰り後ろ向きに厨子に入り自ら厨子を閉じたとされ「後向き薬師」と称される。元の本尊は以後秘仏となった。このため本尊が二体ある。 Wikipedia

<Close>

太龍寺

太龍寺は、徳島県阿南市加茂町にある高野山真言宗の寺院。山号は舎心山(しゃしんざん)、院号は常住院(じょうじゅういん)と号する。四国八十八箇所霊場の第21番札所。阿波秩父観音霊場の第10番札所。本尊は虚空蔵菩薩。

<ViewMore>

太竜寺山弥山(標高600.1 m)の山頂近くに位置し、本堂は標高505 m付近で八十八箇所で6番目の高さにあり、大師堂は、御廟の橋、拝殿、御廟が並び高野山奥の院と同じ配列になっていて、その大伽藍は西の高野と称され、阿南室戸歴史文化道の指定、とくしま88景の選定を受けている。阿波では「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称され、へんろころがしと呼ばれる難所の一つである。 Wikipedia

<Close>

焼山寺

焼山寺は徳島県名西郡神山町下分字地中(しもぶん じちゅう)にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所第十二番札所。摩盧山(まろざん)正寿院(しょうじゅいん)と号する。本尊は虚空蔵菩薩。

<ViewMore>

焼山寺山(標高938m)中腹の標高705m付近に境内があり、四国八十八箇所霊場で3番目の高さになる。四国山地の山深い所にあるため随一の難所として知られる。また、阿波霊場三難所の1つにも数えられ「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と呼ばれる。 Wikipedia

<Close>

立江寺

立江寺は、徳島県小松島市立江町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場第十九番札所で「四国の総関所」、また「阿波の関所」として知られる。橋池山(きょうちさん)、摩尼院(まにいん)と号する。本尊は延命地蔵菩薩。 寺伝によれば、聖武天皇の勅願寺として、行基が光明皇后の安産を祈願し一寸八分 (5.5cm) の金の子安の地蔵菩薩を刻み「延命地蔵菩薩」と名付けて本尊として開基したとされる。

<ViewMore>

空海(弘法大師)が訪れた際、小さい本尊は失われる恐れがあるとして、一刀三礼して等身大の地蔵菩薩を刻み、本尊を胎内に収めたといい、このときに寺名が立江寺と改められたと伝えられている。当時は現在地から400mほど西の奥谷山清水寺のある場所であったという。天正年間(1573年 – 1593年)に長宗我部元親の兵火により全焼したが、幸い本尊は難を逃れた。その後徳島藩藩祖蜂須賀家政によって現在の地で復興された。1974年(昭和49年)に火災が発生、本堂が焼けたが本尊は無事で1977年(昭和52年)に再建された。 Wikipedia

<Close>

ページの先頭へ